1.夢への挑戦〜イチローの恋人と呼ばれて
高校野球で甲子園を目指し、叶わなかった甲子園出場と、背番号1をつけることができずに終えた高校野球。
このままでは、好きな野球を終われない思い。一度就職をしたものの本気で野球がしたい。
夢を夢で終わらせたくない。
168cmしかない体で入団テストを2年間に渡り受け続けた結果、野球を通しての出会いと、野球人としての勉強が待っていました。
1992年20才でオリックス・ブルーウェーブに入団。しかし、選手ではなく打撃 投手としての入団でした。毎日、選手が活躍をして欲しいと思い、ストライクを投げ続ける仕事。選手を陰で支える裏方の仕事。

その中で現役のプロ野球選手を目の前で見ることで、プロ野球選手になりたい気持ちは、日々強くなっていきました。
仕事では、1日に※120球から150球前後のボールを毎日投げ続ける打撃投手。
(※プロ野球の先発投手が1試合で投げる球数)
しかし、気持ち良く打たせるボールと自分 の向上する(現役選手を目指す)ためのボールは、まったく別で、毎日、自分の肘はぼろぼろになっていきました。
オリックスで、自分の人生を左右する出会いがありました。それは、
1つ年下19才のイチロー選手と、23才の田口選手でした。
1993年にイチロー選手が日本最 多安打記録210安打達成のとき、(イチローの恋人とよばれ)毎日、投げることが できたのが、今の自分の支えになっていることがたくさんあります。
毎日、寮・グランド・遠征先・食事をともに行動することで、なぜ、ここまでの一流選手になるの か、なれるのか。
考え方と意識、そして心・技・体のバランスがイチロー選手を支えていると肌で感じることができました。
2.現役選手へのこだわり〜野村監督との3日間
2年間の在籍を経て、“現役”選手へのこだわりを当時の監督 仰木さん、イチロー選手に相談し、『挑戦して、がんばれ』の言葉に勇気付けられ、挑戦することを決意し、いざプロテストに挑みました。
しかし、自分の中で満足のいくピッチングができず、阪神タイガース・ヤクルトスワ ローズの2球団を受けましたが、不合格の結果。
ヤクルトのテストでは、当時の監督 野村さんに申し訳ない気持ちでいっぱいでし
た。阪神でのテストでMAX144キロの数字が出ていたのですが、その中で肘を痛
めて、全力で投げることができない状態でテストに挑むことになり、自分の中では、
これで野球ができなくても最後のテストになるから、思う存分楽しもうとの思いでの
挑戦でした。
テストでは、野村監督はピッチングを見ると、自分のボールが全然良くない中で、ウォームアップの走り方・マウンドでのグラブさばきを見て、野手が出来るん じゃないかと30m走を測定し、そのタイムが良かったため、急きょ野手として3日間のテストを受けることになりました。
そのなかで、野村監督と2人っきりになり、室内練習場で打撃を見てもらうことがあ りました。高校以来、4年ぶりに本気で打撃をした自分に
『お前の気持ちが分かる。 わしもテスト入団やからな。』
『自分に合うバットはこれから見つければいい。』
と声を掛けていただいたことが今でも心に残っています。
帰りの飛行機では、自分の荷物が持てないほど手の皮がずるむけになり、その手を見て本当に幸せな気持ちになりました。
結果は、当時、選手登録が70人という枠があ り、自分が入ると71人になるという理由から、残念な結果となりました。しかし、 野村監督との2人っきりの時間は今でも最高の思い出となり、やれることはやった。 と思いました。
3.メジャーリーグの世界〜トレーナーとして
その後、阪神タイガースに打撃投手として入団し、新庄選手、亀山選手などに投げ、 1年打撃投手を務めました。
西武ライオンズに移籍し、松井稼頭央選手などに投げ、 打撃投手を務めました。西武ライオンズに在籍する1年の中で、このまま打撃投手を 続けるのか、それとも、ほかに自分に何ができるかを考えていました。
(西武時代の師匠 佐々木 誠さん)
自分が小さな
体で勝負するために行ってきたトレーニングを勉強して、指導者としてやっていきた
いという思いが生まれました。そして4年間で、打撃投手としてのプロの世界を去る
ことを決意しました。
トレーニングのことを勉強するなかで、メジャーリーグ球団 ニューヨークメッツの スプリングキャンプトレーニングに参加することができ、ボビーバレンタイン監督 や、野茂投手、吉井投手にも色々な話が聞け、日本とメジャーの違いも感じることが 出来ました。
チームづくり、球団の組織、コーチング、コンディショニングの重要性など、たくさんのことを学びました。
こんな質問をしてみました。
メジャーで活躍するためには何が必要ですか?
『運と体力だ。』
という答えがかえってきました。体力がないと人よりも練習ができない。自分を伸ばすことができない。ケガに強い体を作るのが重要。そして、運は“毎日、あたり前のことをあたり前にする日頃の行いだ”と。
メジャーの環境にはやらされる環 境はなく、自分に何が必要かが分かっている。何をすれば、良くなるのかと考える意 識の高い集団を感じました。
4.指導者としてのスタート〜宝塚ボーイズ結成
色々な経験を経て、パーソナルトレーナーとして、指導者としてスタートしました。
高校野球のトレーニング、大学、企業チーム、国体チーム、女子ソフトボールチーム などの指導。医療費が高くなるなかで、予防のためのトレーニングやサプリメントの 必要性などの指導を現在も行っています。
1999年にドリームファイターズ(宝塚ボーイズ)中学生の硬式野球チームを結成しました。

チーム結成前に、いくつかの中学生の硬式野球チームを指導 しましたが、グランド整備・道具の準備・片づけはお父さんがしており、監督・コー チは練習時間の始まる直前に来て、コーヒーやパンをお母さんが用意していました。
その状況を見たときに子ども達は好きな野球を通して何を学ぶのだろうか?このまま では良くないと思い、チームを結成することを考えました。
チームを結成するにあたって、グランドの確保が大変なことで野球ができる環境をつ くることの問題と戦い、1期生は9人からのスタートでした。試合もできないまま、 1年が経ちましたが、選手達は試合ができなくても、このチームで指導してほしいと いう選手ばかりで自分との信頼関係は最高のチームになりました。
2期生が入り、試合が出来るようになり、1期生は全国大会ベスト8という見事な結果を出してくれま した。その結果、チームの存在が少しずつ知られるようになり、3期生から20名以上の選手が入団しています。今では部員約90名の本当に素晴らしい集団になっています。
素晴らしいチームの陰には、チーム全員が同じ目標を持ち、同じ方向へ向かっている こと、それは、選手、スタッフだけでなくお父さん、お母さん、OBの選手、OB父 母も同じ気持ちをもっているからだと思っています。
いい環境、いい組織がないと、
選手・子ども達はいい方向へ行かない。
その意識づけが私たちスタッフ、父母の役割 なのです。
野球を通して学ぶこととは、礼儀やあいさつ、道具を大切にする、応援してもらって いる人への感謝。1人では何も出来ない野球を通して、色々な人と出会い、これらのことを学び、育って、立派な大人へと成長して欲しいと思っています。
5.超一流の指導者を目指して〜これからの夢
チームの組織や指導は、プロ3球団で5人の監督と複数のコーチを経験したことで、 勝つチーム、勝てないチームの違いを学ぶことが出来ました。裏方を経験すること で組織がどれだけ重要かということ、選手の為に何が必要かということがわかりまし た。
教え子のなかには駒澤大学付属苫小牧高等学校から楽天イーグルスに入団し、2007年新人王を受賞した田中将大がいます。
将大は、みんなに応援してもらえる選手になってくれるとチーム関係者全員が思っています。

私の夢は、野球を通して色々な人と出会えたことに感謝し、子ども達が野球を通して 人間性を学べる環境(社会人野球と少年野球がつながりをもっているような)地域密 着して応援してもらえる組織をつくりたいと思っています。
これからも、自分も感動!出会えた人に感動!を与えられる人、チームをつくりたいと 思っています。本気と信念をもってがんばります。



